97年にK-1GP初制覇をするやいなや、次戦でア−ツに敗れてしまう。
それに続くように、皮膚病が再発。98年の決勝戦ではそれが原因で緒戦でサム・グレコに敗れる。
その事により、マスコミや関係者までもが『限界説・引退説』を持ち上げた。
しかし、ホーストは全くその事は気にせず、過酷な練習に打ち込んだ。
そして、1999年。
フグ、バンナ、ミルコ相手に勝ち進み、見事王者に返り咲いた。
その後、名古屋でジェロム・レ・バンナに負けるものの他は全勝し、2000年の覇者に。
名実ともにキング・オブ・キングスの名前を手に入れた。
翌年の2001年でも、ジェロム・レ・バンナと並んで優勝候補大本命に挙げられた。
決勝戦の1回戦で、ステファン・レコに勝利。しかし、怪我で2回戦に進めず、3連覇は果たせなかった。
2002年、ボブ・サップにまさかの2度のTKO負けを喫する。
しかし、 .最後はGPを制覇し、フォータイムスチャンピオンの偉業を達成してみせる。
2003年のGPには、自前の皮膚病が悪化して出られず。
2004のGPは判定に恵まれずレミー・ボンヤスキーに負けてしまう。( 私が審判ならホースト・・・
)
[この大会では、選手・ファンからジャッジに対する抗議の声が殺到した。]
2005年は試合を開幕戦まで試合を行わず、開幕戦までをも欠場。
GP引退宣言をし、ワンマッチでの戦いに専念することをを宣言した。
しかし、2006年、アーネスト・ホーストがGPに戻ってきた!!!
負ければ引退の大勝負。虎視眈々とファイブタイムスチャンピオンを目指す!!!
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