History-ホースト史-


幼少期〜青年期
 
 

1965年7月11日にスリナム共和国に生まれる。

1966年、1歳のときにオランダに移住。
サッカーが盛んなオランダで皆と同じようにサッカーに夢中だった。
地元の町の強豪ユースチームのフォワードとして活躍。
しかし、団体プレイより個人プレイを好み、心から楽しむことはできなかった。

15歳のときに、新しく新設したSokudo(速度)ジムに入門。タイボクシングクラスに通いはじめる。


デビュー戦からプロへ
 
 

Sokudoジムに6年間通った後、Cクラスの公式戦デビュー。
公式戦では、2ラウンドで相手をマットに沈める。
その後は破竹の8連続KO勝利し、Aクラスになる。

1987年に現在所属する、ヨハン・ボス率いるアムステルダム・ボスジムに移籍。
そして次の年、サバテとムエタイの大会両方で優勝し、インストラクターを辞めプロのキックボクサーへ専念する。

その後、オランダから離れ色々な国で試合することになる。

1988年11月20日、オランダでピーター・アーツに勝利。
1989年10月、オランダのアムステルダムでブランコ・シカティックに4R反則勝ち。



K-1参戦〜王者への道
 
 

1993年4月30日、「K-1 GRAND PRIX'93」が開催され、出場。
ただ1人のミドル級の体重だったにもかかわらず、優勝候補大本命のピーター・アーツ、モーリス・スミスの2人を破る。 見事決勝に進むも、負傷が響き、ブランコア・シカティックに敗北。結果、準優勝で落ち着いた。

同年に、K-2(ライトヘビー級)の王者に輝く。

1997年、「K-1 GRAND PRIX'97 決勝戦」で、ジェロム・レ・バンナ、フランシスコ・フィリォ、アンディ・フグを破り念願の優勝を達成。



引退説から復活、そして・・・
 
 

97年にK-1GP初制覇をするやいなや、次戦でア−ツに敗れてしまう。
それに続くように、皮膚病が再発。98年の決勝戦ではそれが原因で緒戦でサム・グレコに敗れる。

その事により、マスコミや関係者までもが『限界説・引退説』を持ち上げた。
しかし、ホーストは全くその事は気にせず、過酷な練習に打ち込んだ。

そして、1999年。
フグ、バンナ、ミルコ相手に勝ち進み、見事王者に返り咲いた。

その後、名古屋でジェロム・レ・バンナに負けるものの他は全勝し、2000年の覇者に。
名実ともにキング・オブ・キングスの名前を手に入れた。

翌年の2001年でも、ジェロム・レ・バンナと並んで優勝候補大本命に挙げられた。
決勝戦の1回戦で、ステファン・レコに勝利。しかし、怪我で2回戦に進めず、3連覇は果たせなかった。

2002年、ボブ・サップにまさかの2度のTKO負けを喫する。
しかし、 .最後はGPを制覇し、フォータイムスチャンピオンの偉業を達成してみせる。

2003年のGPには、自前の皮膚病が悪化して出られず。
2004のGPは判定に恵まれずレミー・ボンヤスキーに負けてしまう。( 私が審判ならホースト・・・ )
[この大会では、選手・ファンからジャッジに対する抗議の声が殺到した。]

2005年は試合を開幕戦まで試合を行わず、開幕戦までをも欠場。
GP引退宣言をし、ワンマッチでの戦いに専念することをを宣言した。

しかし、2006年、アーネスト・ホーストがGPに戻ってきた!!!
負ければ引退の大勝負。虎視眈々とファイブタイムスチャンピオンを目指す!!!